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ikiru

Author:ikiru
大学生の時に心の病(欝、不安神経症、対人恐怖、視線恐怖、適応障害、震えなど)になりもう十年近く経ちました。
現在は、日々もがきながらも会社員をしています。
このブログでは、今まで生きてきた中で実際に生きるための力になった言葉たちを紹介していきます。

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気分が向いたときに行動する

気分が向いたときに行動する。

不安気質の人に多い。

気分屋で気分の良い時にはなんでもこなせるが、

気分が悪くなるととたんに何もできなくなる。

しかし、仕事や家事や人付き合いはそういうものではないだろう。

気分の良し悪しに関わらずやらなければならないことがある。

気分が悪くてもその場で必要なことをやる。

自分の症状や不安は関係ない。

どんな場面でも同じ。

やるべきことをただやるのみ。

そうしているといつの日か、気分より行動が先になる日がくるはずだ。
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元気になったら行動しよう

不安症状の病気の真っ最中の口ぐせ。

治ったら仕事をしよう、元気になったら友達に会おう。

それも一つの方法だと思うがとても時間がかかる。

病気は行動しながら治っていくものだ。

どきどき、びくびくしながら少しずつ行動してみて、

その行動をする中で自分なりの答えを見つけていくものだ。

元気になったら、治ったら行動すると言わず、

元気になりながら、治りながら行動してみよう。

分かって欲しい

分かって欲しい、理解して欲しい。

誰もが持つ自然な欲求。

でも、何もせず分かって欲しいと願う人が多い。

ただで分かってもらおうなんて、何様。

人様に分かってもらうには相当の代償が必要。

神様仏様が広い心で受け入れてくれるのとは話が違う。

人様に分かって欲しいと思うならまず行動を。

解決できないこともある

悩みや苦しみの中には解決できないタイプのものもある。

解決できないタイプの悩みや苦しみを解決しようともがくと

余計に苦しくなってしまう。

解決できないタイプの代表的なものは、他人と過去。

悩みの種になりやすいものだが、変えようと思っても変えられない。

そういうときは放置するしかない。

考えても徒労に終わるだけだから。

解決できないタイプの悩みや苦しみが存在するということを

頭に入れておくだけで、心にわだかまりが生まれにくくなる。

治るということ

鬱や不安神経症が治るということ。

病気の真っ最中は、病気が治るということは、

いつも元気で不安はなくなり何でもできるようになる

ということだと思っていた。そう願っていた。

この病気さえなければ何でもできるのにと常に思っていた。

でも、治る=スーパーマンになることではないようだ。

治ったからといって不安はもちろんあるし落ち込むことだってある。

治ったらできると思っていたことも相変わらずできなかったりする。

治るということは、ただ、不安な自分や落ち込んでいる自分や

不完全な自分に折り合いをつけられるようになるということなんだ。

理想の自分になろうと苦しむのではなく、等身大の自分でいる。

それが実は一番人間らしい姿なんだ。

たまには疑ってみる

どうしても不安になったり苦しくなったりすることがある。

親に、先輩に、先生に教わったとおりに生きているのに。

そんなときは、今自分が信じている価値観自体を疑ってみること。

生き方を教えてくれた人も一人の人間。

間違えることもある。

どうしても苦しくなったら、自分が信じている価値観を疑ってみること。

絶対だと思っていた価値観を捨てると楽になることがある。

人の価値観で生きるのではなく、自分の価値観で生きること。

誰が教えてくれただろうか

生きる方法を誰かに教わったことはあるだろうか。

数学や英語や一般教養は学校で習ったかもしれない。

ご飯の食べ方やトイレの行き方は家庭で教わったかもしれない。

しかし、上手に生きる生き方は誰かが教えてくれただろうか。

上手に生きたいと願う人が多いのにそれを教えてくれる人は少ない。

待っているだけで教えてもらえるものではないだろう。

自分で主体的に求め、自ら考え、実行してみることが必要だ。

自分で動き出したときに初めて自分らしい生き方を学ぶのだ。

待っているだけでは何も生まれない。

主体的に動きたいものだ。

外に求めない

自分が幸せを感じる価値観を外に求めないこと。

愛されているから幸せ(安心)
お金を持っているから幸せ(安心)
役職についているから幸せ(安心)
友達が多いから幸せ(安心)
成績が良いから幸せ(安心)
仕事があるから幸せ(安心)
人から認められているから幸せ(安心)
誰かとつながっている感覚があるから幸せ(安心)

幸せを外に求めていると心が不安定になる。

なぜ、不安定になるか。

外のものは、常に変化するし消えてしまう可能性もあるから。

誰もがその事実を心のどこかで知っている。

認めたくないけれどそれが事実。

流転するもので自分の心を満たそうとすると逆にとらわれる。

外に求めることで、手に入らない苦しみ、失ってしまう不安に苛まれる。

では、外に求めないならどこに求めるのか。

それは、どこにも求めないこと。

そもそも求めるという発想自体が不安や苦しみの元凶。

どこにも求めないこと、それは、期待せず生きること。

友達にも同僚にも家族にも社会にも期待しない。

期待せず生きているといつのまにか心が軽くなってくる。

仮定法の幸せ

こうなったら幸せ。

あれが手に入れば幸せ。

今はこれもあれもないから不幸せ。

こう考えている人に幸せな状態は訪れるだろうか。

きっと一つ幸せをつかんだらすぐに次を求める。

常に足りない状態が続く。仮定法に終わりはない。

幸せは仮定法のもとに成り立つのではない。

幸せは現在、常に気づき感じるものだ。

どんな状況であっても今を無条件に受け入れ愛すること。

自分の全ての状況をそのままの姿で認めてあげること。

幸せは遠い向こうにあるのではなく今ここにある。

リスク分散

投資の世界では一つの対象に偏った投資はしないという。

リスクを複数の対象に分散させるという。

なぜなら、一つの対象が崩れたら投資が失敗に終わるから。

人間の心は投資ではないが、リスクの分散は必要だと思う。

一つのことにこだわりすぎているとその対象が崩れたときに

心が壊れてしまう。

心が強く前向きなときは、マイナスな状況を乗り切ることも

できるだろうが、いつも強く前向きな人はそういない。

心が壊れてしまうことが一番辛い。

心を壊さないためにも、リスクは分散させておきたい。

心の在り処を偏らせないこと。

残念だけれど

残念だけれど、人間は、世界は平等だという思いは捨てたほうがいい。

平等であるべき論を教えられて育ったかもしれないが、

残念なことに人間も世界も平等には作られていない。

顔形も違えば、貧富の差もあれば、差別も存在する。

それが厳粛な事実。耳には痛いがそれが事実。

平等だと思っていると期待が裏切られ失望してしまう。

理想はもちろん大事だけれど、自分の心はもっと大事。

事実は事実として受け入れるほうが心には優しい。

よく考えてみると、自分も全ての人を平等に愛することはできない。

そんな不平等な人が集まった世界が平等な訳がない。

前提を変えて世界を眺めてみると不平等さが不愉快でなくなる。

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